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京都の夏、祇園祭の山鉾巡行が2回あるワケ。

 

みなさん、こんにちは。

 

京都の夏の風物詩、祇園祭についてご紹介しております。
先日17日に前祭の山鉾巡行が終わり、24日にはまた後祭の山鉾巡行がありますね。

 

一度はひとまとめに行われていた山鉾巡行ですが、2014年に本来のかたち、2回にわけて行うかたちになりました。

 

では、この2回にわけて行われるのは、いったい何故なんでしょうか?

 

・・・

 

まず、17日の神幸祭が行われたあと、お神輿に乗った神様が八坂神社を出て京都の街を巡行し、四条寺町にある御旅所に到着します。そして24日、お神輿に乗った神様は御旅所を出発。ふたたび街を巡行したあと、八坂神社へお戻りになり、還幸祭が行われます。
神様は一週間ほどを京都の街の人々と過ごし、疫病神を祓って、京都の街を災厄から守ってくれるのです。

 

 

前回の記事で、最初期は66本の鉾を立てて御霊会を行っていたという話をしましたが、その鉾というのは、先が丸くなった祭礼に使用される槍のこと。疫病神、疫神は空を飛んでいて、キラキラとした刃物に誘き寄せられると考えられていました。なので鉾を依代にして、疫病神を宿らせるのです。

現在の山鉾のなかにも、その名残りのあるものがあります。それがあの有名な、長刀鉾です。長刀鉾の先は、刃物ですよね。それがあれだけ空高く掲げられていれば、飛び回る疫病神がおびき寄せられるのも、無理はありません。

 

 

つまり、神様が京都の街を巡行してお出かけする前に山鉾巡行を行い、街を祓い清めるため、2度にわたって行われるものなのです。

 

それが、昭和41年から一度にまとめて行われるようになりました。
これは、山鉾巡行を一度にまとめて行えばすべての山鉾を1度に見ることができるため、京都への観光客が増えるのではないかと考えられ、また、交通規制も一度ですむという経済的な理由からなのです。

 

 

それが平成26年から現在、ふたたび本来の2回にわけて巡行を行うかたちに戻されることとなりました。

 

そのきっかけは、幕末の蛤御門の変で焼失してしまっていた、後祭の山鉾である「大船鉾」の再建。
それから平成21年、「京都祇園祭の山鉾行事」としてユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことで、本来のかたちで行いたいという思いが強くなったのです。

 

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交通事情などで本来のままの姿とはいきませんが、
2回に分けて行われる現在のかたちは、当時の祇園祭の姿に極めて近いと言えるでしょう。
長く続く伝統行事。これからも、大切に守っていきたいですね。

 

CATEGORY: .KYOTO通信

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